蓼食う虫が好き。

アイドルを推し始めた言葉オタクの記録。

沼に落ちる前に。

好きな物は音楽と演劇と文字。
初めてアイドルを推すという動作を身に付けているところ。

9人組ボーイズアイドルグループ、MeseMoa. に出会って、1日目から始まった「沼に落ちる」という体験について、始めから少しずつ綴っていきたいと思います。

今回はMeseMoa.に出会う以前に知っていたことについて書きます。

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年下の男の子たちが余興で「ハッピーシンセサイザ」を踊っているのを見たとき、
10代の女の子が「歌い手が推し」だと話すのを聞いたとき、
そして、好きなバンドの話よりもずっと、VOCALOID曲のクリエイターの話の方が通りが良かったとき、
ニコニコ動画という仕組みの中で生まれた文化が、2020年を迎えようとする今も生きていて繋がっているんだなと感じました。

私は、バージョン(β)からのユーザーでしたので、10年以上ニコ動の文脈を読んできたことになります。(10年…!)

とみたけさんとお話しできそうなジャーゴンも色々あります。

あの頃、ニコ動にいた人は、きっと、総じて何かのオタクでした。

今のYouTuberとは少し方向性の違う、当時まだまだ本流であったマスメディアに対して「主流」ではない表現の集まりであったと思います。
「魅せる」「再生数を稼ぐ」「登録者を増やす」といった志向よりも、圧倒的に「ただやってみたい」「好きなものを広めたい」「面白いと思ったものを共有したい」といった、好奇心や、ちょっとしたふざけ心がきっかけになった動画が多かったように思います。
沢山の動画が投稿され、カテゴリが分かれ、ランキングが毎時変動しました。

当時、個々の「踊り手」であったMeseMoa.のメンバーのみなさんは、それぞれが、自分の動画で数万再生を記録する人たちでした。

2桁再生で終わる動画も数多あった激動の「踊ってみた」カテゴリの中で、ダンスのスキルや容姿やネタや再現性やキャラクター等で、他を圧倒していた人たちでした。

MeseMoa.のメンバーは、オーディションも通っていない、下積み期間もない「アイドル気取り」の集まり、であるかもしれません。

篩も通らず、誰からも選ばれずに始まった活動、と捉えられるかも知れません。

しかし、その出自から言って、そんな訳はないのです。

視聴者たちが民意でもって確実にその魅力を認め、既に選ばれていた人たちでした。

それぞれが、他者にはマネできない能力をもった人たちでした。
全員が、自分の動画を撮影して編集して投稿して、視聴者と言葉で関わっていける人、そして、表現して誰かに届けたいという欲を自らもった人。

動画の投稿を重ねて、ちょっと変わった名前を名乗って(名付けられて)、その名前を生きる時点で、表現者としての最初のステージに、十分に立っていた。

そんな人たちの集まりは、強いに決まってる。面白いに決まってる。丈夫に決まってる。そんな風に思います。

併せて、halyosyさんの今がここにあることも、理文のぶんけいさんが世界観を確実に表現していることも、めろちんさんの振り付けが多くの人の目に触れることも、てぃ☆インさんが仲間になったことも、嬉しくて仕方ない。

当時、私たちが無償で享受していた表現が、続いていて、そしてきちんと対価の得られるビジネスになっていることが、嬉しくて仕方ない。

表現と向き合い続けている人への敬意は、対価で払わなくてはとずっと思っている。
そういう人たちが、時間をかけて、人生をかけて歌っていてくれるから、踊っていてくれるから、私たちは日常を生きられる。
だから。

仕事に追われて、ニコ動から離れて、過ごした数年を経て、
2018年夏。MeseMoa. に出会った私は、感動混じりの驚きと、わくわくする楽しさを感じました。

「踊り手」で「むすめん。」の皆さんが「MeseMoa.」として表現を続けていてくれたこと。続く仕組みを作れる大人が、彼らの周りにいてくれたこと。ニコ動で繋がったクリエイターが、同じ関係でもっと素敵なものを作り続けてくれていたこと。

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続くって素敵なことです。あなたが「続けたい」って思っていることも、わたしが「続いてほしい」って思っていることも、それはとても幸せなことで、生きる糧になることだと思います。あなたが産み出す新しいことを、見届けたくて、大袈裟だけど、「生きねば」って思います。そういう人と、多く出会える人生は幸せだと思います。
幸せでいさせてくれてる、存在に、心から感謝なんです。

これが、推しに、推しとして出会うまでの前提のお話。